ヨガを通して生きる術を伝えたい
30代・40代で「何をした?」「何を学んだ?」

これまでの道のりから「今ココにある輝き」の理由を探り、
素敵な40〜50代を送りたいと望むあなたにエールを贈ります。

山本 玲子

Profile
山本 玲子 (やまもとれいこ)さん(46歳)

東京都出身/那覇市在住 
株式会社ビューティーブッダ代表取締役/ヨガスクール&スタジオSWEET LOTUSオーナー/内閣府認証 特定非営利活動法人 日本統合医学協会 メディカルヨガ・メディカルピラティス認定講師/マレーシアに永住権を持つ投資家

若かった母親から離別し育ての親である祖父母の養女となる。
小学生から祖父母の介護を経験するとともに空手道で心身を鍛錬。病弱だった祖父母の介護を続けながらも勉学に励み大学を卒業。その間に「お金を稼いで楽をさせたい」と夜の世界に足を踏み入れるも、生きる目標だった祖父母を亡くし天涯孤独に。
20代でキャバクラに務めた15店舗の全てにおいてNo1の座を獲得し「伝説のキャバ譲」と呼ばれたのち、3店舗の銀座のクラブのママとして大成功を収めた。
その後きっぱりと夜の世界を卒業したのち、東京・鎌倉・千葉を中心にヨガスタジオを運営。「ヨガ料理教室」「ビューティー料理教室」を開講。栄養学・美容学的な指導に定評があった。
2011年の震災を機にマレーシアに永住権を獲得後、移住を試みるも慣れない環境に耐えられず沖縄に移住。行政が運営するイベントや市民講座にヨガで出向きキャンセル待ち100人を超える人気講師となる。ヨガの普及に欠かせない講師育成を急務に感じ、2019年 浦添市牧港に「SWEET LOTUS」をOPEN。4年間で県内のヨガの生徒数は現在、延べ7,000人を超える。

山本 玲子

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銀座の高級クラブのママからヨガ講師の道へ。
女性としての幸せも、経済的な自立も社会的な立場も。
全てを手にいれた山本 玲子さんのこれからの沖縄での役割・使命とは。


21歳で天涯孤独に
16歳で私を生んだ母に変わり、私を育ててくれたのは祖父母でした。 病弱な祖父母は 「東京は空気が悪いから」と埼玉県越谷市の田んぼの真ん中にトタン屋根の家を建ててくれ、一緒に暮らしていました。私は祖父母から深い愛情を受け武道から勉学まで教育をつけてもらいながら大切に育てられました。
そんな祖父母にもっと贅沢をさせてあげたいと思い、幼少の頃から私は社長になると決め、小学生だった私の部屋には既に社長室なる空間をつくっていました。
大学に入り、お金を早く稼ぎたかった私は、20歳になるのを待ち、夜の水商売の世界に入りました。しかしキャバクラ勤めも束の間に、祖父が他界。後を追うように21歳で祖母が亡くなり、私は天涯孤独になり、生きる目標をなくしてしまったのです。

気付いたら『伝説のキャバ譲』
しかしもう後には戻らず、これからは自分一人で生きていくための収入と知恵が必要でした。埼玉から東京へどんどん都心に近づきながらキャバクラを転々とし、結局、20代の10年間で15店舗も勤め続けました。気付いたら『伝説のキャバ譲』と言われていました。
まずは入社して2週間で確実にナンバーワンになる事。それは2位との僅差ではなく、ぶっちぎりであることが大事。 妬みや欲にまみれた女性達を自分の味方にするには、圧倒的な力の差を魅せることが重要でした。だいたいのお店には更衣室に指名数や売上などが一目でわかる成績表のようなものが貼ってあるのですが、私につけられたシールは常に壁に収まらず、天井をつたっていました(笑)。
目に見える実績をつくり、偉くなればなるほど周りが優しくなる。一従業員が経営者に意見が言えるようになる。妬みが憧れに変わり仕事がしやすくなる。そう、自分で思い通りの立場がつくれるということを経験したのです。

そして銀座のクラブのママに
キャバクラのお客様はいわゆるブルーカラーと言われる方が多い 。もっと上の世界へ、お金では買えないステータスが欲しくなりました。天下国家、経済を動かす人に会ってみたくなったのです。
そんな折に、31歳で再婚したのは4歳の子をよく見てくれる大手企業のエリート幹部の方でした。そしてキャバクラから銀座の人気クラブへ転職。すると入社して2週間もしないうちにママ本人から「この店のママにならないか」ともちかけられ、「これまでの自分の大切なお客様も全てあなたにたくしたい」と自身の病気のことも打ち明けてくれました。そうして私は銀座に3店舗あるクラブのママとなり、80人のホステスを束ねる経営者となりました。

世界の歴史に残る偉人から学んだこと
私は日本や世界の歴史に残る偉人と呼ばれる人から「人の扱い方」を学び研究し現場に生かしました。
日本の戦国武将の中では、人たらしと言われた豊臣秀吉の「人身掌握術」から言葉のかけ方、人の巻き込み方、人の心の掴み方を学び、世界では劉備やジャンヌダルクなど、ヒトラーの演説から学ぶこともありました。
これらは20代のキャバクラ時代から実践したもので、銀座のクラブのママとしての器を磨く大切な課程であったのかもしれません。

夜の世界からの卒業
時給五千円でも長くは持たないこの世界。経営者としてもそう、多くの女性の人生を支える役目があります。しかし…、給料を支払えば、私も相手も満足なのか?私と関わった人は本当に幸せになれるのか?雇用関係が切れたら終わりではなく、女性がちゃんと自分で自立して目覚めて立ち上がれるように、勇気を持って歩き続けられるように「けん引」するコトが私の使命・役割なのではないかと思い始めました。
夜の世界ではない場所で女性の人生の一部に関わり、お役に立てるような美容や教育の事業に心が向きはじめました。具体的に考え詰めていくと、きっぱりとママを辞める決意ができました。

趣味で続けたヨガの講師資格取得
ヨガは趣味で続け、教えたりもしていたのですが新しい世界に飛び込むために38歳の時にようやくヨガ講師資格を取得しました。
ヨガ講師デビューは東京のホテルオークラのスポーツクラブ。大盛況で階段まで占領されるほどの人数に驚きました。それから栄養学や美容に関しても学びを深めつつ、木更津君津・鎌倉に・東京を中心にヨガスタジオの運営を行い「ビューティー料理教室」「ヨガ料理教室」などを開講しました。
新しい事業は順調ではあったものの、2011年の震災による原発の問題に直面。子どもの健康に不安があったため、マレーシアに移住する計画を立てました。2年もかかって永住権を獲得したのに実際に住んでみると都会過ぎて子どもや夫が環境に慣れず、かといって東京に帰ることもできず、ご縁があって安全な沖縄に移住することになりました。銀座で設立したビューティーブッダという会社の登記も那覇に移転しました。
沖縄に来て当初は特に仕事もせずに遊んでいたのですが、半年くらいしてくると「私は沖縄の何の役にもたっていない」と思い、だんだんみじめで心苦しくなってきたのです。

私はヨガなら教えられる
私が始めに向かったのは、行政機関でした。ボランティアでも何でもさせて頂こうと思いました。浦添の体育協会さんの門をたたき、講師登録をさせて頂きました。浦添の生徒さんからのご紹介で「宜野湾でもやってくれない?」という嬉しいお言葉を頂き、宜野湾体育協会でもヨガ指導をさせて頂くことに。
高齢者施設にも出向きました。この時までは地域貢献と思っていたのですが、ハッと気付いたら自分でも信じられないほどの数の生徒さんに出会い、教えていたのです。

ヨガを通して教えたいこと
ヨガの先生は世の中に沢山いらっしゃると思います。でも「なぜ私でなければならないのか?」そう考えた時に、私が本当に教えたいのは『生きる術(すべ)』 なのではないかと思いました。
女性には女性らしい立ち回り方があり、しなやかに自立していけるような『生きる術(すべ)』がある。お金のこと、自分磨き、思い通りに相手を動かす術など。
『銀ママの錬金術』と題してお金の哲学も教えて欲しい、というニーズも多くありました。私が育てたいのは、誰かの人生に影響を与えられるようなヨガ指導者。それが私にできることですし沖縄での使命・役割と勝手に感じています。

全国でも、いち早く沖縄初の認定校に
講師を育成するには社会的信用度の高い資格を取らせてあげたい。なので、私は内閣府が認証する特定非営利活動法人『日本統合医学協会』の認定講師になりました。そして沖縄でのヨガ指導実績や生徒数が認められ、全国でもいち早く認定校の許可がおりたのです。
資格を取得したら終わりではなく指導者になるには活躍の場も必要になります。それを見越した上でスタジオも持つことにしました。それは、人から繋がるご縁で素晴らしい物件に出会えたお蔭様です。
2019年8月にスタジオOPEN以来、生徒さんがどんどん増え続けクラスが足りない状況。いよいよですが講師が足りなくなりました。まさに講師育成が急務となったわけですが今後は、ヨガ講師になられた方の活躍こそ、私の生きる楽しみとなりそうです。

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スイートロータス
TEL.098-943-6444
E-mail:info@okinawa-yoga.jp
拠点:沖縄県浦添市牧港5-3-5 2F(大型駐車場完備)[map]